秀。
苦情の宛先は此方。
眉の手入れしてたら眉尻切ってしまった。いたた。
おはよう。
口から出るのは蘊蓄や理論、一つの解釈でしかない。正しいと思わない以上は、自分の語る戯言が真に求められていると思う事もない。
何もかも、無価値であるからこそ。無価値なそれら全てに価値を見出せるのだと思う。自分にも、貴方にも、世の中から貶される全てに対しても。
終わりを目前に、これから自分は終わるのだと喚く人は自己愛に満ちているのだという。他でも無い自分の終わりを使い、人の気を引いているのだと。
真に終わるその人は、今もどこかで人知れず終わるという。終わる事が第一にある以上、誰の気を引く必要もないのだそうで。成る程確かに、筋が通っている。持論ではなく、道理だね。
持論か。引用である事も、言い訳にしかならない。
ヘアケアを追加。
今日は昨日より早寝しよう。
お疲れ様。
腰痛ケアで過ごす昼休み。
おはよう。
花はいい。枯れるから。
音楽はいい。煩いから。
人はいい。自惚れているから。
正しく今、自惚れているから。
こんなにも上手く生きられない。
呼吸も、食事も、何もかもが苦痛であるのなら、そこに生きている実感がある。生理的拒否も、劣化も、終わるその時でさえ、
手のひらから何もかもが抜け落ちる、その時に価値はない。
報われる事はない。
全ての道理が、自分という個人を否定するように世の中は出来ている。
個性、自分らしさ、その全部が経験からくる虚栄な自己愛で
皆、言い訳を重ねて生きている。
正しくありたいのか。
違う。美しいとされるものを、美しいと受け取れない自分を恥じている。
Spotifyでびゅー。
頑張って寝よう。
何にでも代わりはいる。その中から自分で選ぶ、その行動や意思にこそ、真に価値あるものが宿ると信じている。
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